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市庁舎6階 展望パネル 各スポット詳細説明

2020.01.28

 

※向かって左から紹介いたします

 

 

【なら歴史芸術文化村(なられきしげいじゅつぶんかむら)】〔天理市〕

※令和4年3月 開村予定

「見る・知る・学ぶ・体験する」を通じ、「本物に触れる」ことで「新たな視点・感性」が生まれることをコンセプトに、仏像など文化財の修復過程見学や企画展示・修復体験、伝統工芸品の展示・販売、産直レストランや農産物の直売所、ホテルなど様々な機能を有し、奥深い奈良の魅力を知ることができる複合施設です。施設内にはサイクルステーションがあり、更衣室やシャワーも設けているため、周遊観光をされる際には、是非お立ち寄りください。また、アーティストと交流したり、文化芸術のイベント等も開催予定です。

 

【龍王山(りゅうおうざん)】〔天理市〕

柳本町や田・藤井町の龍王社がまつられているところから龍王山(標高586m)と呼ばれています。また、戦国時代には十市氏によって山城が築かれ、中世の史料には「龍王城」の名で登場します。山頂からの眺めは良く、奈良盆地を囲む大和三山・生駒山・金剛山・葛城山・二上山・吉野山が望め、場所によっては三輪山を眼下に眺むことができます。天気の良い日には二上山の奧に大阪平野や大阪湾が見え、その先に明石海峡大橋を見ることもできます。登山道も整備され、軽登山には人気のスポットです。

 

【西乗鞍古墳(にしのりくらこふん)】〔天理市〕

杣之内町に所在し、史跡杣之内古墳群 西乗鞍古墳は5世紀末(古墳時代中期末)の古墳〈国史跡指定2019年2月13日〉とされ、古墳は二重の周濠を持つ前方後円墳で、道路部分に外濠、道路から一段高くなった平坦面に内濠が浅く巡っています。規模は全長118m、前方部が南側、後円部は北側にあります。墳丘は二段築成で、埋葬施設は横穴式石室と考えられていますが詳細はわかっていません。春には、満開の桜が見事で、多くの方が憩いの場として訪れています。

 

【西殿塚古墳(にしとのづかこふん)〈手白香皇女衾田陵(たしらかのひめみこふすまだりょう)〉】〔天理市〕

萱生町・中山町に所在する全長約230メートルの巨大前方後円墳です。この古墳は手白香皇女衾田陵(たしらかのひめみこふすまだのみささぎ)として宮内庁により陵墓管理されています。1992~1994年の発掘調査では、古墳の周囲から円筒埴輪が出土しました。また埴輪の起源となる特殊器台形土器の採取が、宮内庁により報告されています。3世紀後半(古墳時代前期前半)の古墳と考えられます。山の辺の道の東の丘陵の高い場所に造られた古墳で、拝所からは奈良盆地を一望することができ、初夏は周辺の柿の青葉が見事です。

 

【三輪山(みわやま)】〔桜井市〕

 

標高が467mのなだらかな円錐形の山です。日本最古の神社といわれる大神神社は、この三輪山をご神体とし「記紀」には御諸山(みもろやま)、美和山(みわやま)、三諸岳(みもろのおか)とも記されています。山中には3か所の磐座があり、古代巨石信仰の面影を残し祭器などが出土しています。 山全体が大神神社の御神体であることから、限られた者だけしか足を踏み入れることのできない禁足の山とされてきましたが、現在は大神神社から北北東に位置する摂社・狭井神社の社務所で許可を得て入山することができます。

 

【崇神天皇陵(すじんてんのうりょう)〈行燈山古墳(あんどんやまこふん)〉】〔天理市〕

柳本町に所在する全長242mの巨大前方後円墳です。4世紀前半(古墳時代前期後半)の古墳とされています。大和朝廷の創始者とされる第10代崇神天皇の陵墓「山辺道勾岡上陵(やまのべのみちのまがりのおかのえのみささぎ)」として宮内庁が管理しています。地域の名を取って「行燈山古墳(あんどんやまこふん)」とも呼ばれています。遺物は周濠から銅板、金銀細工品、土器などが出土しています。また、この古墳は大王墓にふさわしく、南アンド古墳(全長65m)、アンド山古墳(全長120m)、天神山古墳(全長103m)の3基の陪塚を伴います。

 

【景行天皇陵(けいこうてんのうりょう)〈渋谷向山古墳(しぶたにむかいやまこふん)〉】〔天理市〕

渋谷町に所在する全長約300mの巨大前方後円墳です。4世紀後半(古墳時代前期後半)の古墳とされ、日本武尊(やまとたけるのみこと)の父と伝えられる第12代景行天皇の陵墓「山辺道上陵(やまべのみちのへのみささぎ)」として宮内庁が管理しています。地域の名を取って「渋谷向山古墳」とも呼ばれています。周濠も幅が狭く、築造時の姿を良くとどめているとされ、築造時の葺石が確認されています。崇神天皇陵に続いて造られた大王の墓で、 前方後円墳、円墳、方墳、各1基の陪塚を持ち、4世紀の古墳としてはわが国最大規模の古墳です。

 

【黒塚古墳(くろづかこふん)】〔天理市〕

柳本町に所在する全長約130m前方後円墳〈国史跡指定(2001年1月29日)〉です。4世紀初頭(古墳時代前期初頭)とされ、長さ8.3mの竪穴式石室が埋葬当時のまま発見され、築造されてしばらく後に起こった地震で石室の上部が崩壊し、結果として盗掘から守られました。木棺内には画文帯神獣鏡1面と、その両脇に刀剣類が置かれ、木棺と石室壁面の間には、立てかけるようにして置かれた国内最多の三角縁神獣鏡33面や刀剣類が収められていました。また、実物大で再現した竪穴式石室や、三角縁神獣鏡、鉄製刀剣類等のレプリカなどを展示している黒塚古墳展示館が隣接されています。

 

【箸墓古墳(はしはかこふん)】〔桜井市〕

邪馬台国の女王卑弥呼の墓ともいわれる箸墓古墳は、我が国最初の大王墓として知られています。現在は倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)の大市墓(おおいちのはか)として宮内庁で管理されています。箸墓古墳は3世紀後半(古墳時代前期)に出現した、当時国内最大の集落跡「纒向遺跡(まきむくいせき)」にある全長約276mの巨大な前方後円墳です。また、築造について日本書紀には「墓は昼は人が作り、夜は神が作った。(昼は)大坂山の石を運んでつくった。山から墓に至るまで人々が列をなして並び手渡しをして運んだと記されています。

 

【大和神社(おおやまとじんじゃ)】〔天理市〕

「日本書紀」に、第10代崇神天皇の時代の創建であると伝えられています。伝統行事に、大和に春を告げる「ちゃんちゃん祭り」が4月1日に行われます。〈奈良県指定無形民俗文化財指定(2018年2月2日)〉また、江戸時代、雨乞いの満願が叶ったことに感謝して踊りを奉納したことが始まりとされ、現在は地元の婦人達により「紅しで踊り」が9月23日に行われています〈天理市無形民俗文化財指定(1997年3月31日)〉天平5年(733年)の唐遣使の無事の帰国をこの大和神社の大國魂の神に祈り、山上憶良が「好去好来」の歌を送っています。好去とは「さようなら」、好来とは「御無事で帰還を」の意。

 

【大和三山(やまとさんざん)】〔橿原市〕
※左から  畝傍山(うねびやま)、耳成山(みみなしやま)、香具山(かぐやま)

※南から北方向へ向けて撮影

香具山(標高152.4m)、畝傍山(標高199.2m)、耳成山(139.7m)の三つの山を総称して「大和三山」と呼ばれています。古くから多くの和歌に詠まれてきました。また、大和三山に囲まれた平野部分には、古代の都・藤原京の中心であった藤原宮が造営され、大和三山の位置が重要な立地条件になったと考えられています。現在は、藤原宮跡として〈国特別史跡指定(1952年3月29日)〉、〈ユネスコ「世界遺産」候補暫定一覧に記載(2007年)〉、〈国指定名勝指定(2005年7月14日)〉、〈「日本遺産」構成文化財認定(2017年)〉受け、現代も広く親しまれています。

 

【市座神社(いちざじんじゃ)】〔天理市〕

参道の入口左側には丹波から遷されたという恵美須神社(えびすじんじゃ)、また本殿の右側には妙見社(みょうけんしゃ)があります。創祀は不明ですが事代主命を祀り、今も丹波市の名にふさわしく市場の守護神として尊崇されています。奧の境内は広く、一角には明治時代まで橋として使われていた大きな石が立てかけられています。この石は緑色をしており、もともとは古墳に収められた石棺の蓋でした。今では面影がありませんが、近くには古墳がたくさんあったようです。恵美須神社では毎年1月7・8日に商売繁盛を祈願する「八日恵美須祭」の宵宮と本宮が開かれます。

 

【金剛山(こんごうざん)】〔御所市、大阪府南河内郡千早赤阪村〕

金剛山は、大阪府千早赤阪村と奈良県御所市との府県境にある山です。大阪府の最高地点(1056m)を有し、標高は1125mで、二上山や葛城山の連なる金剛山地の主峰です。最高地点は葛木岳といい、御所市の葛木神社の本殿の裏にあるが、神域となっていて立ち入ることができないため、国見城跡の広場が山頂とされています。金剛山ロープウェイが山上まで架けられ、気軽に山上までアクセスできます。また、山頂付近まで林道が整備されており、一帯が金剛生駒紀泉国定公園に属しています。

 

【葛城山(かつらぎさん)】〔御所市、大阪府南河内郡千早赤阪村〕

大和盆地を取り囲む山々の中で御所市の西部にそびえる葛城山(標高959.7m)は、登山道が複数あります。そのうち御所市からの登山口から山頂付近まで葛城山ロープウェイが運行されており、櫛羅(くじら)の滝コースはほぼロープフェイに沿ったコースです。四季折々の自然を楽しむことができ、山頂近くの遊歩道では4月下旬にカタクリの自生や桜を見ることもできます。特に5月中旬に山頂から南側斜面一帯を覆いつくすツツジは「一目百万本(ひとめひゃくまんぼん)」とも言われています。また、秋にはススキ、冬には樹氷や霧氷を見ることができます。

 

【厳島神社(いつくしまじんじゃ)】〔天理市〕

古くは常蓮寺(廃寺)の鎮守社であり、弁財天女と一言神を祀っていたとされますが、明治初年に厳島神社と改め、明治16年に境内の一部が石上神宮の御旅所になりました。このことから、石上神宮最大の祭典で、例年10月15日には、「ふるまつり」とも、また、この厳島神社が田町(旧田村)の御旅所まで渡御するので「田村渡(たむらわた)り」とも呼ばれています。渡御の行列は総勢200人に及び、御霊代(みたましろ)を奉安する御鳳輦(ごほうれん)は県内最大規模のもので、華麗な時代行列がくりひろげられ、その様は圧巻です。

 

【二上山(にじょうさん)】〔香芝市、大阪府南河内郡太子町〕

奈良盆地の北西部、奈良県と大阪府の境に位置し、雄岳(おだけ)と雌岳(めだけ)が寄り添って並ぶ二上山。左右に金剛・葛城山系と信貴・生駒山系と、四季折々で優美な姿を変えていきます。雄岳の頂上には、謀反の罪で命を落とした悲劇の皇子・大津皇子が眠ります。古くは『万葉集』に詠まれ、万葉では「ふたかみやま」として古代史の舞台ともなりました。また、二上山は千数百万年前には活発な火山活動がありました。噴火によって多くの火成岩が分布していますが、なかでもサヌカイト・凝灰岩・金剛砂はその後の人類文化の発展に大きく寄与した岩石、鉱物です。

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