櫟旅 モデルコース(約10km 3時間目安)
〔 ▮▮▮▮▮▮▮▮▮ 〕 ※櫟旅マップ中の黄色
JR櫟本駅
0.8km ↓(徒歩15分)
在原神社
1.0km ↓(徒歩20分)
和爾下神社
0.7km ↓(徒歩15分)
赤土山古墳
2.0km ↓(徒歩30分)
白川ダム
2.0km ↓(徒歩30分)
六地蔵
0.8km ↓(徒歩15分)
和爾比坐赤坂比古神社
0.7km ↓(徒歩15分)
櫟本高塚古墳
1.0km ↓(徒歩20分)
かぼちゃ薬師
0.3km ↓(徒歩7分)
楢神社
0.3km ↓(徒歩7分)
高良神社(長寺遺跡)
0.3km ↓(徒歩7分)
JR櫟本駅
「伝・山の辺の道」とは
櫟本(いちのもと)は、奈良と飛鳥を南北に結ぶ道と、都祁と河内とを東西に横断する道が交差する地点で、古代より交易の中継拠点の市場として賑わいました。
この地を本拠地としていた古代豪族 和爾氏をめぐるロマンに思いを馳せながら柿本寺跡、和爾坐赤坂比古神社、サムライ街道と巡るルートを『伝・山の辺の道』と名付けました。
櫟本 名所紹介
【在原神社(ありわらじんじゃ)】
平安時代の歌人、在原業平誕生の地として、境内に業平が主人公とされる『伊勢物語』ゆかりの井戸がある。物語では、幼馴染の男女がこの「筒井筒」の周りでたけくらべをして遊ぶ。また、帰らぬ業平を待ち続ける女の霊は、世阿弥の謡曲『井筒』でも描かれている。毎年4月26日の「業平祭」には御祭神である阿保親王と在原業平の像が公開される。
筒井筒 井筒にかけし まろがたけ 過ぎにけらしな 妹見ざるまに
井戸のまわりの柵で貴女と背くらべした僕の背丈は、もうすっかりあの柵より高くなりました。貴女と会わないうちに・・・
くらべこし 振り分け髪も肩過ぎぬ 君ならずして たれかあぐべき 『伊勢物語』(二十三段)
あの頃は、貴方と髪の長さもくらべ合いましたね。おかっぱだった私の髪も、肩より長くなりました。貴方じゃなくて、誰のためにこの髪を結い上げましょうか。(貴方以外は考えられません)
業平 姿見の井戸
在原業平が高安の女のもとに通ったと伝わる「業平道」沿いにあり、謡曲『井筒』では業平の妻が一途な慕情を語り、井戸を覗き込みつつ業平を偲ぶ。与謝蕪村の句碑「虫鳴くや河内通いの小提灯」は業平を詠んだもの。
【馬つなぎ】
この辺りは商いで賑わっていたところ。今も市場という小字が付き、「馬出し」と呼ぶ。荷物を運んだ馬や牛をつなぐための馬つなぎが残っている。
【和爾坐赤坂比古神社】
天平2年、古代ヤマト王権の有力豪族であった和爾氏が祭祀した。社殿の裏には、小さな横穴式石室が開口している。
【柿本寺跡】
和爾氏から分岐した柿本氏の氏寺である柿本寺があった。山部赤人とともに歌聖と讃えられる、万葉歌人 柿本人麻呂の遺骨を葬ったとされる「歌塚」が残る。ここに小石を置くと字が上手になるという言い伝えがある。
【和爾下神社】
赤い鳥居をくぐって参道を進み、鬱蒼とした森に包まれた石段を上る。古墳の上に鎮座する拝殿の奥にある檜皮葺きの本殿は、桃山期建立の重要文化財。古代ヤマト王権の一翼をになった豪族和爾氏の氏神が祀られていた。
【赤土山古墳】
4世紀後半の築造の大型前方後円墳で、和爾氏の有力者の墓と思われる。墳丘からは奈良盆地のほぼ全域が遠望できる。ジオラマ的な家形埴祭祀遺構が復元されている。
【東大寺山古墳】
国宝である出土品「中平銘鉄刀」は、金象嵌の銘文から後漢王朝から下賜されたと考えられる。古墳へは城法大教会の神殿手前に階段があり、事務所に声がけすれば登れる。
【楢神社】
御祭神の鬼子母神は、子どもの守護神、また子授けの神でもある。八代目市川団十郎が奉納した三枡井の井筒があり、井戸水は子どもを授かる霊水と言われる。
【JR櫟本駅】
跨線橋と駅舎は木造で明治31年開業時のものが今も健在。プラットホームの下段側面、駅北側の高架トンネルのレンガ造りにも歴史を感じる。
ちょっとひといき休憩所
櫟本公民館
「まなぶ・むすぶ・つどう」をコンセプトに、八角形のユニークなフォルムの新館には、地域の特
産品紹介コーナーやくつろぎスペースもあります。(※ 休館:火曜午後・水曜・祝日)
かどや・花餅屋
天井を見上げれば昭和初期の趣きがある「かどや」は、当時の風体を残しています。懐かしい雑
誌やレトロな品物を展示している「花餅屋」とともに足休めにお立ち寄りください。