てんりせいかつ

てんりせいかつ VOL/48
大和に来て、心が喜ぶ神社を目指す
―前編―

くらし
2024.01.24

第48回

大和神社・宮司

塩谷陸男

「てんりせいかつ」では、天理で自分らしく暮らし、活躍されている方々を訪ね巡りご紹介しています。今回は、大和神社の宮司を務められている塩谷陸男さんです。宮司になるまでの道、境内の神社を修理する経験、神社でどんな環境を作りたいかについて、天理市新泉町にある大和神社で伺いました。

滋賀県の社家に生まれ、神職の道へ

崇神天皇の時代まで遡る、日本最古級の神社の一つである大和神社。江戸時代の幹線であった上街道から大きな鳥居をくぐり、鬱蒼とした杜へ続く長い参道を進みます。本殿に近づいたら、大和神社の宮司である塩谷陸男さんは授与所から迎えてくれました。

塩谷宮司は滋賀県出身です。「安土というところ。今の近江八幡市内。ええとこですよ。城の下で生まれて、すごい階段があったよ」と笑いました。

神社に世襲的に奉仕する「社家(しゃけ)」に生まれた塩谷宮司は、もともと宮司になりたかったのでしょうか。「そんな気はまったくなかった。7人兄弟の6番目。一番上と私の二つ上の兄は神職になったけど、私は特に希望はなかったです。偶然に、伊勢で新しい皇學館大学ができた時に、神職の家庭であるということで行きました。私は高校生で何も分からへんかったけど、『神職、格好いいやろう』と思った。親が『伊勢で神職の大学ができるから、そこに入ってね』と言って、行くことにした」。

神社とのご縁、地域の土地柄

神職の大学を卒業して、塩谷宮司は最初に三重県の神社に入り、それから大阪、静岡県、茨城県、岐阜県の神社にも行きました。「岐阜県高山市に行ったのは12月で、もう雪国でたいへんでした。そこに二年半いたから、『ほかにどこかあるかな』と探し始めました」。

その時、大和神社とのご縁がありました。「たまたま、奈良県にいた宮司が『ここ空いとるところがあって、助けてくれ。昔の官幣大社だし、大きな神社ですよ』と言ってくれました。私は『知らんわ、大和神社。奈良の何も知らん』と言ったけど、一回見に来た。平成13年の秋やな、もう20年経つね、知らんうちに」。

大和神社に入り、宮司になりました。奈良県が初めてでしたので、神社だけではなく、地域について学ぶことがたくさんありました。「土地柄、風土、人柄。それらが全然分からなかった」。地域に慣れながら、塩谷宮司は地元の人と仲良くして、1年目から大きな取り組みを始めました。

75年ぶりの修理、床の下にある知恵

大和神社に入って初めてのお正月に、地元の人からのお願いがありました。「一人は『宮司さん、檜皮がガタガタやで、高龗さんをやってもらえたらと思って』と言ったね」と塩谷宮司は思い出しました。それがきっかけになって、大和神社の「平成の大修理」が始まりました。「最初、三殿ぐらいだと思っていたけど、そうしたら、『これも、これも』と出てきました。11年をかけて、高龗さんから、全部を修理しました」。

神社の業務をしながら、朝から夜まで修理のための実行委員会、補助金の申請、予算決済などの会議に出ました。そして、工事をする前に、御神体を丁寧に動かすことが大事でした。

「神様を動かすのが大変でした。一生に、ほとんどないことね。神様は屋根の下で寝ているのに、屋根をガンガンとするのが悪いから、動かしました。順番があって、正面から出して、回っていきました。第二殿、第三殿など、回り方が決まっています」。

75年ぶりの修理でした。30メートルほどの鉄塔を建て、畳から屋根まで、全てを修復しました。修理の業者さんは本殿を見た時、屋根の下に棟札を探したけど、見当たらなかったのです。

「屋根の下に棟札がない。神様が鎮まっている下に、名前を入れた棟札がありました。業者さんがびっくりした。前の宮司をはじめ、奉仕された方々の名前が床の下にしてあった。また、我々の名前も奉仕しました。雨が漏れても、消えないように、床の下にしている。それはやっぱり知恵、宝探しのようです」。

平成の大修理のおかげで、大和神社は平成から令和の時代へ、またこれからの時代にも受け継がれます。神社の修理がいったん終わっても、塩谷宮司は次の修理をすでに考えています。「30年経ってくると、またやらなきゃ。生木やで。高龗さんは平成16年だったから、もう20年になってくるでしょう。早せんと、雨漏りなどで、木が腐ってくる」。

環境から会話まで、笑顔を作る神社

境内にある本殿など神社の修理をしてから、塩谷宮司はどういう環境を作りたいかについて話してくれました。「喜んで入っていただくこと、すがすがしい気持ちで、さっぱりした清涼感を持って帰られることが大事。そういう安心感、納得感を持って帰っていただけるような環境を作っていかなあかん。そのために、やっぱり境内を綺麗にするのが第一」。

安心する環境を作るには、自分自身の接し方が大事です。「対話を上手に持って行かないといけない。ボソボソした対話では、『実は、。。。』があまり進まない(笑)。ちゃんと対話をして、進めていく。まず、対話ですよ。話をせなあかん」。

質問に答えながら、塩谷宮司は何気なくダジャレ、語呂合わせを会話に交えました。「例えば、秋にコスモスが咲いていたら、コ・ス・モ・ス:こんにち、スガスガしい、モーニング、スタート(笑う)。モミジ:もまれて、みんな、じりつする。。」。その後、りんごも、大根も、人を笑顔にさせる、優しい言葉を次々と教えてくれました。

大和神社に来て、22年になりました。最初、地域について何も分からなかった塩谷宮司は地域に慣れながら、11年をかけて、境内の神社を修理しました。それから、環境を大切にし、人と快く対話をしながら、安心感を持って帰ってもらうようにしています。

こちらの記事は前編でした。大和神社での日常、神社の歴史、地域と神社の関係などを後編で紹介します。ぜひ、ご覧ください。

大和神社のホームページ

大和神社のインスタグラム

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