てんりせいかつ

てんりせいかつ VOL/38
奈良蚊帳の物語を織り続ける
―後編―

くらし
2022.09.05

第38回

丸山繊維産業㈱

第3代目社長・丸山欽也氏 と 専務・丸山勝弘氏 と 丸山八大氏

「てんりせいかつ」では、天理で自分らしく暮らし、活躍されている方々を訪ね巡りご紹介しています。前回に引き続き、天理市長柄町の丸山繊維産業を紹介します。丸山欽也社長、丸山勝弘専務、社長の息子である丸山八大さんは奈良から海外への進出、会社の過去への想い、これからの道について話してくれました。

奈良からニューヨークへ、蚊帳織りの海外デビュー

奈良の伝統産業である「蚊帳織り」。1930年から蚊帳生地を製造している丸山繊維産業は、2004年に「ならっぷ」というブランドで蚊帳の生活雑貨を始めました。デザインを入れたふきんやブックカバーを作り、奈良町のアンテナショップで販売しましたが、数年経っても、まだ難しかったです。「国内も停滞していて、『ならっぷ』をやっても、なかなか芽が出なかった」と丸山欽也社長は思い出しました。しかし、水平線の向こうから、新たな見込みが見えてきました。「ちょうど奈良県が海外販路開拓事業をやってくれていたんで、申し込んだ。採択してくれたから、『じゃ、オッケー!』っていうことで、始まった」。

営業担当である丸山勝弘専務は、県の事業でアメリカのトレードショーに行きました。「2013年と2014年、2年連続で奈良県としてNY NOW(ニューヨークナウ)に出店して、その後も3、4年間、他の展示会にも行きました」と勝弘専務は思い出しました。シカゴやアナハイムなどの展示会に出店しながら、商品の種類を増やしました。また、一人のお客さんとの関係を構築しました。「毎回、応援に来てくれはった若手のお客さんは、展示を一緒にやって、結局、うちのディストリビュター(販売代理店)になった」。

日本の重ね合わせたふきんが、海外でヒット!

ディストリビュターのアドバイスで、オーガニックや備長炭の商品を増やして、文化や健康の意識が高いお店を狙いました。ディストリビュター経由で、ニューヨーク近代美術館(Museum of Modern Art)」をはじめ、全国のミュージアムストアやお洒落なライフスタイルショップなどに置くことができました。北米の反響はふきんの珍しさと歴史のおかげだ、と欽也社長は話しました。「こういう積層したものが多分海外になくて、通常はタオル織機だね。また、昔の蚊帳の技術からこの商品ができているから。そんな歴史とストーリーが評価されて、プラス、『メイドインジャパン』もアドバンテージの一つや」。

海外の需要に応え、オーガニックと備長炭のリビング関係に展開して、ピローケース、バスタオル、バスマット、フェイスタオル、ブランケット、マスクなども作るようになりました。海外のお客さんに販売しながら、国内のお客さんとの違いがだんだん見えてきた、と勝弘専務は話しました。「同じふきんでも、日本では『可愛い』ものは人気がある。海外はシンプルかつエコなもの、オーガニックなもの、そういう意識が高い。やっぱり販売できる商品がちょっと違うかな」。

海外のトレードショーがなくても、売り上げの夢はぶれない

2021年に丸山繊維産業は日本貿易振興機構(ジェトロ)の支援事業「TAKUMI NEXT(タクミ ネクスト) 2021」の一社として選ばれて、ジェトロのオンライン展示会にも参加しました。「展示会ができない中なので、ネット上で企業の紹介をしていただいて、蚊帳のバイヤーがそこに入り込んだから、南アフリカにあるワイン農場のホテルとつながり、注文をいただきました」。

今まで海外での反響がよかったですが、勝弘専務はまだ満足していません。「海外の売り上げをもうちょっと。2019年にトレードショーがコロナで一気になくなったけど、やっぱり自分の中では、海外でワンミリオンドラー(百万米ドル)を超えたいね」。

蚊帳の技術を残して、次の世代へバトンタッチ

コロナの時代に入って、3年目。丸山繊維産業の事業も社会と景気の不安に影響された、と欽也社長は話しました。「2020年は売上が3割ぐらい落ちたね。まだ依然として車やものづくりが停滞していて、半導体が不足しているから。どんな時でも、いい時もあるし悪い時もある、今まであった仕組みを作り直すのが大事だと思うね」。

創業92年目の丸山繊維産業。欽也社長は現在の事業を見直しながらも、会社の基本から離れません。「根本は、蚊帳の製織技術を残して、次の世代へバトンタッチすること。それをするために、どうしていけばいいのか、蚊帳の用途開発をするしかない。。。変に大きくしすぎたら、その瞬間はいいけど、長い目でね、20~30年でその瞬間のできごとで終わってしまうね」。

入社して2年目の八大さんは、会社の過去を参考にしながら、これからの道を考えています。「それぞれの時代、その時代のニーズを見つけて、自分たちでそれを開拓しないといけない。『マルラップ』の包装資材や、『ならっぷ』の商品。生き残るための手段として、そういうブランドができたということが大きい。そういうブランディング事業ができるのも、下請けの受託の事業もあるからこそ、今もできるね」。

「今の蚊帳」を開発して、長柄町から蚊帳織りの物語を織り続ける

時代とやり方が変わっても、蚊帳を続ける、と欽也社長は強調しました。「もともと創業が蚊帳なんで、蚊帳ができないというのはダメなんだ。昔の蚊帳ができなくても、『今の蚊帳をやっています』と言えるだけの商品をこしらえたい」。そうするために、若手社員の観点を大切にして、蚊帳の新たな用途を一緒に開発しています。「今のライフスタイルに合った蚊帳を作るために、うちの経理の女子社員と一緒にいろいろと縫製して、試作している。昔の蚊帳ではなくて、もう虫もそんなにないから。あの中に入れば、癒し効果があったり、消臭効果があったり、柿渋で染めたら虫が来なかったりする」。

ちょうど取材に伺った日に、工場の近くに新たな事業を着工しました。「数年前に買い取った土地で、そこで商品の販売や試作品の展示をする!」と社長は嬉しそうに言いました。奈良町の店舗を続けながら、長柄町で2号店を設けます。「デザイナー何人かはそこにいて、お客さんが来たら、案内できるし。天然木のテーブルを入れて、ディスプレーや販売ソフトをまだ準備してるけど、お盆あけにオープンできるかな」。

古代から始まった奈良蚊帳の物語。虫除けの蚊帳から寒冷紗へ、それからふきんやストール、これから「今の蚊帳」になります。地元長柄町から国内外へ、奈良蚊帳の物語をそうやって織り続けているのは、丸山繊維産業の欽也社長、勝弘専務、八大さんです。

 

丸山繊維産業㈱公式ホームページ

Nawrap公式インスタグラム

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