てんりせいかつ

てんりせいかつ VOL/39
あられを始めた米農家
―前編―

くらし
2023.04.03

第39回

飯田製菓

第2代・代表者 飯田一夫 氏

「てんりせいかつ」では、天理で自分らしく暮らし、活躍されている方々を訪ね巡りご紹介しています。今回は、あられとおかきを製造している飯田一夫さんです。飯田製菓の始まり、一夫さんの経験や想いについて、天理市石上町の本店で伺いました。

歴史豊かな上街道で、あられとおかきを作る

「食べたら止まらない」と言われている飯田製菓のあられ。第2代目の代表者である飯田一夫さんは何気なく、温かい笑顔で製品を紹介してくれました。「普通のあられとおかきを作っています。『おかき』というのは、昔のかきもち、ちょっと大きい方。小さいのは『あられ』というらしい。今はおかきが2種類、あられが8種類あって、全部で10種類の商品を作ってます」。

昭和39年創業の飯田製菓は天理市石上町、瓦の屋根が並ぶ「上街道」の街並みにあります。歴史豊かな道であり、観光客も地元の人通りがあるらしいです。「いい環境に住まわせてもらってきました。年末年始のお伊勢参りでは、大阪からのツアーが家の前を通って、幟を持って伊勢までよく行かれます。いいところです」。飯田製菓本店は大きな緑とオレンジ色の幟を目印にしています。お店の奥に工場も田んぼもあり、始めた当初から今も、自家産米を使っています。

お米から製菓へ、職人が評価するお母さん

「もともと家は農家の家でした。昔、農家は肉体的になかなかしんどくて、『なんか、商売しよう』という話があった。父とおばあちゃんは『食べ物の商売をしよう』と言って、あられを始めたらしい」と。最初、分からないことがたくさんありましたが、飯田家はあられ職人に知識や技術を教えてもらいました。「あられ専門の醤油屋さんに『誰か、ええ人おらへんか』と聞いたらしい。たまたまほんまの手焼きをする職人さんがいて、2人に来てもらった。その2人が自分たちでレンガを組み立てて、窯を作った」。

「コークスと備長炭で火を起こして、あられの生地の入った網2個だけを入れて、また2個を交互に入れて、ほんまの手焼きをずっとしてたんです。その人たちは職人としての技術を持っておられた、家にとってはよかったです」。当初からの工程は変わりましたが、今でもその職人の知恵を味わえます。「例えば、うちの『春日』という商品には、海老と海苔、海苔と豆の2種類が入っている。おかきはその職人さんに教えてもらいました」。

一夫さんのお母さんはあられの乾燥を担当していて、職人さんに褒めてもらっていました。「職人さんは『自分が焼かへんのに、よううまいこと乾燥できんな』といわれていたようです。昔の言葉やけど、おふくろは『かんぐりがええ』とみんなが言ってたそうです」。

問屋から家売りへのシフト

約20年前に、あられを百貨店に納めていた問屋さんが閉店することになりました。飯田製菓の売上を結構占めていたから、一夫さんのご両親は悩みました。「『それやったら、うちもやめよう』という話になったそうですが、いろんな方から『せっかく機械があるんやから、家売りだけでもしたら?』という話があったんです」。

問屋から家売りへシフトする大きな分岐点でした。「その時はまだ父も母も元気だったので、近所の人に来てもらい、製造して家で小売りをしていました」。

親からおかきを学び、家業を継ぐ

奈良県内の消防署に34年間勤めてから、2010年に一夫さんは家業を継ぐことにしました。「最初は、父と一緒にしてたけど、2~3カ月で父はかまわなくなった。『もう任しとくわ』と言って。おふくろには乾燥の仕上げだけ『こんなもんかな』と見てもらって、『まだちょっとやわらかいわ』や『ちょうどええわ』とか言って、教えてくれた。乾燥、これが一番難しかったですね」。

一夫さんはお父さんとお母さんから工程を学び、翌年、小袋のデザインにも目を向けました。その時まではパソコンで見つけた字体を使っていましたが、奥さんの知り合いの中に、他のお店の商品名を筆で書いた方がいました。「書道の先生じゃないけどね」と一夫さんは微笑ました。少し丸みのある、はっきりとした、温かい手書きです。「もう8~9年経ってると思うけど、『この字が好きやねん』や『この字はええな』と言わはる人がいます」。

人気「マヨネーズ」の次、2番目のあられを開発

約40年前に、飯田製菓は当時珍しかった「磯衣マヨネーズあられ」を売り出して、ベストセラーになりました。「やっぱり一番売れてるのは、昔からあるマヨネーズのあられやな」と一夫さんは言いました。しかし、彼は家業を継いでから、だんだん気になるようになったことがありました。「2番目に売れているおかきがどれですかと言われたら、『これです』と言えるものがなかった。年配の方は昔のかきもちが好きで、一般の方には海老かなという感じやったから、2番目になる製品を作りたいと思ってた」と。

ある日、奥さんがテレビで「ごぼうのおかき」のことを見ました。「それを聞いて、『ごぼうのおかき、どんなんやろうか』と思った」。いつもの材料屋さんにごぼうがなかったから、ネットで買った乾燥ごぼうのチップを仕入れました。それから研究開発の作業が始まりました。「最初は、いろんな種類を作って、来てくれはる方に全部をちょっとずつ食べてもらった。『これが一番いいかな』や『もうちょっと味付け足そうか』と言ってくれたりした。製品として売り出しても、『なんかもの足りへんな』と思って、6カ月ぐらい、そこにもう一回付け加えて、今の製品ができてる。何回か作ったなあ、新規で作るのは難しい」。

試行錯誤の結果が、現在の「ごぼうあられ」です。お店に来た人も、気になります。「店に入ったら、『ごぼうの匂いがしてる』とお客さんは結構言わはってね。ごぼうって、イメージ的に泥臭い感じがあるけど、食べたらおいしいと言われてます。。。今はコロナで試食を出していないので、言わはる方だけに、紙の上にちょっと出して、食べてもらって、大半の方が『おいしいなあ』と言わはります」。今ではお客様にも大好評です。

親から受け継いだ知識を次世代に伝える

現在、ごぼうが香る本店の家売りだけではなく、飯田製菓は自社のオンラインショップ、天理駅前の「コフフンショップ」、「まほろばキッチン」、「なら歴史芸術文化村・交流にぎわい棟(直売所)」でも商品を販売しています。製菓を始めて、58周年を迎えます。一夫さんは家業を継いで、12年になりました。「当時、親から直接言われなかったけど、『息子が家の後継いでくれんねん』と父が喜んで話していたと、後でいろんな人から聞いた」と。おかきづくりを親に教えてもらった一夫さんは、その知恵を次の世代にも伝えたい気持ちを抱いています。「もし息子が家業を継ぐのであれば、自分の知っている知識をみんな教えて、次の製品を何か考えようと思ってるけど。自分はもう68歳だから、もうちょっとこのままで頑張ろうかなという程度ぐらいかな」。

米農家から製菓へのシフトや商品開発に手間暇かけた飯田製菓。職人や業界のつながりや知り合いとともに助け合ったお話。今回、こういうエピソードをお見せしながら、飯田製菓の始まりと今までのできごとを紹介しました。後編では、飯田製菓の一年間、一週間の工程、一日の流れを見ていただきながら、一夫さんの暮らしと温かい人柄を紹介します。ぜひ、ご覧ください。

 

飯田製菓の公式ホームページ

後編へ→

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