てんりせいかつ

てんりせいかつ Vol/09
都市での働き方、暮らし方が、
ある日「なんか違う」と思った。—前編—

くらし
2018.11.01

第9回

天理市トレイルセンター管理人/洋食katsuiオーナー
勝井景介氏

「てんりせいかつ」では、天理で自分らしく暮らし、活動されている魅力的な方々を訪ね巡りご紹介していきます。今回は、長年大阪で愛された名店「洋食katsui」を閉じ、故郷に戻り天理市トレイルセンターで管理人として地域を盛り上げる勝井さんです。25年にわたり慣れ親しんだ大阪を離れ、再び天理の地に拠点を移した経緯などをお聞きしました。

東京生まれ。天理育ち。
ポップカルチャーに魅せられた10代。

天理駅からバスで約15分。『日本書紀』にも記される山の辺の道をめぐる人々の憩いの場となっている「天理市トレイルセンター」が2017年に大規模なリニューアルを行った。その際、指定管理者として同センターの責任者に就任した勝井さん。Tシャツにキャップといういでたちで「ようこそ!」と迎えてくれた屈託のない笑顔は、“公共施設の管理人”という落ち着いた響きの役職からは想像もできないくらいのパッションに溢れていた。「実は東京生まれで子どもの頃は東京で暮らしていたんです」と語る勝井さん。「万葉集でも名高い二上山を見て暮らしたい!と話す祖父のひと声で二上山が見晴らせる天理市柳本町へ引越すことになったんです」と子ども時代を振り返る。天理で過ごした少年時代は天理中学・天理高校に通った勝井さんだったが、都会への憧れが募り、大学は大阪に進学した。

「大阪では周りの友達は『POPEYE』を読んでいて気が合いますし、話早いし。天理の友達は読んでませんでしたから(笑)。でも『POPEYE』を読んでいて思ったんです。大阪でもない、やっぱり東京だと(笑)。だから大学を出たら東京に“帰ろう”と思っていました」。東京を中心に発信されるポップカルチャーに魅せられていた当時は、天理の豊かな自然、そして深い歴史はまったく気にも留めなかったと勝井さんは振り返る。

東京での就職。脱サラ。
「洋食katsui」開店。

東京に親戚がたくさんいて、東京の地理もすでに詳しかった勝井さんは、何のためらいもなく大学卒業後、東京に舞い戻った。「ホテルに就職してベルボーイやハウスキーピング、フロントマンとして働きましたね。東京は消費の街だから、とにかく消費しようとやりたいことは全部やっていた感じです。実家から仕送りをもらっていたりして自由気ままに過ごしていました。28歳くらいになった頃にイタリアンレストランが流行しはじめたのをみて、そうだコックになろう!と脱サラをしました」。当時、脱サラが今ほど一般的ではなかったものの勝井さんは直感を信じスピーディに行動を起こす。

順風満帆な次のステップとなるはずが、状況は激変。「父が亡くなったり、妻が大きな病気を患ったりで家計は火の車。コックになるために大阪・ミナミの老舗レストランで修行をさせてもらっていましたが、こうなったらやるだけやってみようと全財産を突っ込んで独立することにしたんです」。誰にも案内状を出さない孤独な船出。それがその後、大阪を代表する洋食屋「洋食katsui」の始まりだった。「そのうちだんだん、大学時代の仲間が噂を聞きつけて、いろんなメディアを連れてきてくれたり、応援してくれて。最初はお小遣いなんてないくらいカツカツでものすごく大変でしたが、おかげさまで20年たって、従業員みんなで遠くへ出掛けたりとか、やりたいことができるようになってきた感じですね」。

45歳の時にふと感じた
社会に対する違和感。

30代前半から最前線を走り続けてきた勝井さんだか45歳を迎えた頃、何のために仕事をしているんだろう?と社会に対してちょっとした違和感を覚えたという。「大阪のテナントにしても、ちょっとしたビルでも30万、40万とか家賃がかかるわけです。よくよく考えたら、その固定費だけで月のうち2週間ぐらい飲まず食わずで全部払っているような状況なわけです。僕らが必死になってそれを払い続けるのってバランスおかしくない?って。夢がないなと思って」。さらに、当時、天理の自宅から大阪の店へ通勤していた勝井さんは、自分の頭が全然リラックスできていないことも気になりだしたという。「天理から西名阪に乗って、阪神高速入るでしょ。交通量が増えてくると運転する気持ちよさよりも右車線が速い、左車線が速いとか、こいつが割り込んだとか、あいつが割り込んだとか、そういうことに思考回路が働くんです。高速降りたら、あ、スターバックスできてる、とかフォルクスワーゲンいいなあ、とか常に何かキャッチしたものを消化する頭になってきて疲れるんです」。趣味のサーフィンなどで息抜きをしてきた勝井さんが天理を中心に暮らそうと考え始めたのはその頃からだった。

繁盛店を閉めて
天理での暮らしをスタート。

当初は柳本町に自分で物件を借り、レストランを開業しようと考えていたが、規制がありそう簡単にいかないことが判明。ちょうどその頃、天理市ではトレイルセンターのリニューアルの話が持ち上がり指定管理者のプロポーザルが行われた。「本当にちょうどのタイミングでした」と天理での暮らしを考え始めた勝井さんにとっては朗報だったと振り返る。プロポーザルでは心斎橋の洋食屋として積み上げた経験、天理市への想い、事業への熱意、ネットワーク、コミュニティづくりの構想などが評価され、無事指定管理者として「場づくり」に挑戦する日々が始まった。「本当に暮らしを変えようと思っていたんです。一番繁盛していた心斎橋の『洋食katsui』を閉めてでも、何かやろうと思ったわけですから。正直、大阪の店を閉めて不安な気持ちがなかったと言えば嘘になりますけどね。何で閉めちゃんたんだろうって(笑)。だけど今はすごく納得していますよ。100%閉めてよかったって」。

大阪でのキャリアにあぐらをかかず、
1年目のつもりで挑む。

天理市トレイルセンターはトレッキングやサイクリングを楽しむ人の拠点とし自由に休めるソファーやテーブルのほか、勝井さんが経営するレストラン、勝井さんがセレクトした蔵書コーナー、お土産コーナー、そして天理大学と連携して文化財を紹介する展示コーナーなどで構成されている。「正直、大阪での仕事と比べると売り上げはまだまだ厳しい状態ですが、新しい仲間も加わり柳本での仕事に充実感を覚える毎日です」と勝井さんは語り、こう続けた。「心斎橋でいくら長く商売をしていても、ここではみんな知りませんからね。一から積み上げていこうと気持ちを切り替えることができたことがよかったと思っています」。

そしてもう勝井さんは天理でチャレンジするにあたってもう一つ、「どっぷり浸らない」ことも意識しているそう。「大阪にいる時から思っていたんですが、やっぱり客観視することがすごく大事です。天理では当たり前のことが都市部ではとてつもなく贅沢なことだったりするわけです。実際、今、当たり前のようにこの景色を眺めながらゆったりとお話していますが、こんな贅沢できるのは都会では総理大臣クラスのVIPくらいじゃないですかね(笑)」。よその空気を吸いたい時はどうするのか?と聞くと、「時間がなくて行くことができなかった遠方にもパッといきますね。トリップの数が増えました。それでさらに天理の良さが客観視できている気がします」と教えてくれた。

後編につづく==

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