てんりせいかつ

てんりせいかつ Vol/15
電気屋さんの運命を変えた、
エスプレッソマシン。
—前編—

くらし
2019.06.24

第15回

株式会社 大一電化社
上田隆 氏

「てんりせいかつ」では、天理で自分らしく暮らし、活躍されている方々を訪ね巡りご紹介していきます。今回は、エスプレッソマシンの専門店として国内のカフェ・レストランオーナーから絶大な信頼を寄せられている大一電化社の代表・上田隆さんです。電気屋さんとして先代が創業した同社が辿ってきた道のりについて、天理市内のショールームで伺いました。

父親から受け継いだ電気屋。
時代の流れに翻弄された。

この日訪れたのは、エスプレッソマシンの専門店として、今や“オンリーワン”の存在となっている大一電化社さん。ニッチな事業で揺るぎない地位を築き上げた代表の上田さんは、どれほどのコーヒー好きなのかと早速お話しを聞き始めると、どうやら今に至るまでには様々な紆余曲折があったようだ。「もともと街の電気屋でした。当時は、トラックの荷台に商品を積んで、お客さんを1軒1軒回るという商売が当たり前で、父もそれで事業を成長させていました」。ところが、上田さんが大学を卒業した頃には、駐車場付きの郊外店舗が当たり前の時代に。「うちも大きな売り場に大量の商品を並べて、毎週チラシ入れて、値段も下げてという商売に切り替えたんです。でも全く売れなくて。大阪からも家電量販店がどんどん進出してきて、今まで地域一番だったのがどんどん土俵際に追い詰められていったんです」。家電を軸にしながらも業態の変更を余儀なくされた上田さんが、次に目をつけたのが家電の修理の専門店だった。

業態を変えて大成功。
ところがまた家電量販店の手が…。

「実は業態を変える時に、家電の中古販売と家電修理の2つで迷ったんです」と上田さん。中古の家電販売ではまた量販店とバッティングしてしまう。そこで悩んだ末に修理の専門店へと舵を切った。「ガラス張りのキレイな店舗で、修理スペースで修理している人が全員、赤の蝶ネクタイとベストを着ている。さらに持ち込み専門にして、10分間で見積もりして修理期限を約束するというスタイル。約束の期日を過ぎたら1日200円ずつ返金するというビジネスモデルを田原本町のR24沿いで始めました」。結果、お店は大繁盛。テレビ各局の取材が殺到し、店への道路が渋滞になったと当時を振り返る。そんなある日、ある若い男がやってきたという。「ぜひフランチャイズ1号店やらせてもらえませんかと。うれしかったですね。だからまず社員としてフロントに入ってもらって・・・そうしたら2週間経ったら来なくなりましたね。おかしいなと思っていたら隣町の量販店がそっくりの名前で業態を真似して営業を始めていたんです」。いつか真似されるだろうと予測はしていたとはいえ、上田さんの落胆は大きかったと言います。

アメリカから届いた1枚のFAX。
エスプレッソマシン!?

「何でも直す電気屋さん」という記事は海外の新聞でも取り上げられており、その日は突然やってきた。「ファクスが突然アメリカから来たんです。エスプレッソマシンをネット通販していて日本でも展開したいけれど修理拠点がない、と」。日本にまだシアトル系のコーヒーチェーンが上陸する前のこと。一般の人がエスプレッソなんて知らない時代にエスプレッソマシンの話が来たのだった。「よその大手家電会社にたくさん断られた後だったみたいで、こんな田舎の潰れかかった電気屋がそれを引き受けたら痛快だなあ。よし、やろう!と始めたんです」。ところが1年経っても、1つも修理は来ない。さすがにしびれを切らした上田さんがアメリカに電話をして問い合わせると「1台も売れていない」と。「よくよく聞くと、そんなやり方じゃ売れないという方法でしたね。もう頭にきて、俺が売ったるわ!と言ってしまったんですよ(笑)。それが今の事業のスタートでした」。

俺が売るとタンカを切ったものの、天理で店頭にエスプレッソマシンを並べても売れるわけはなく、上田さんは独学でインターネットの勉強を始めた。でも、4年間は1台も売れず。「当時はなんとか体裁を整えてホームページも全部自社でつくりました。今では、うちのサイト、1日に4,000アクセスあるんですよ」。Googleで「エスプレッソ」「エスプレッソマシン 業務用」「ラテ用 抹茶」「フレーバーシロップ」と検索すると軒並み上位表示される。広告を使わずに全国のカフェやレストラン関係の方々が訪れるまでになったのだ。

昔ながらの電気屋のDNAが
高価なマシン販売の強みになった。

大一電化社は卸し売りはしない。それには理由がある。「B to Cをメインにするのは手間もかかりますし、量も少なくなりますし、普通に考えたらありえないと思うんです。でもうちはかつて、家を一軒一軒回っていた電気屋でしたので、どうしてもB to Bを受け入れられなくて」。上田さんは小学生の頃から、父親がお客さんとじっくり話して、要望や困りごとを聞いて商品を提供する姿を見て育ったのだ。その誠実な姿勢が大一電化社の強みとなって、徐々にお客さんが増えていったという。「当時で1台百数十万。お客さんにしてみたら、顔も見たことのない人にメールと電話だけで百数十万預けて、それから輸入するので手元に届くのは3カ月後なんです。もうとにかく “いかに信頼していただくか” しかありませんでしたから。デザイン、機能面、予算、使用するお店のメニュー構成などをお聞きしながら、丁寧に最適なマシンを提案するんです」。

ビジネスをする上で天理だから不利になることはないかと聞くと、きっぱりそれはないという。「ネットでやる以上、場所は関係ないなと思っていました。それよりも住みやすいですし、人は穏やかですし、ここを出ていく理由はひとつもなかったです」。家電量販店に泣かされてきた上田さんたちは、その後二十年余りの月日をかけて、ついに誰も真似のできないオンリーワンの存在へと駆け上がったのだ。

 

後編につづく===

やまのべ焙煎所 公式サイト

大一電化社 公式サイト

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