てんりせいかつ

てんりせいかつ Vol/21
保育士とラグビー審判。
二足のわらじに挑む。
―前編―

くらし
2019.10.13

第21回

保育士・ラグビー審判員
立川誠道 氏

「てんりせいかつ」では、天理で自分らしく暮らし、活躍されている方々を訪ね巡りご紹介していきます。今回は、平日は保育士、休日はラグビーの審判(レフェリー)を務める天理市に住む元高校ラガーマンの立川さんです。幼い頃からラグビーに慣れ親しみ、高校はラグビーの名門である天理高校へ。プレイヤーではなく審判を目指した理由、保育士の仕事との両立についてお勤め先の保育園で伺いました。

ラグビーとの出会いは4歳。
小・中学とラグビー三昧の毎日。

平日の昼下がり。今回訪れたのは天理市内のとある保育所。「今、子どもたちがお昼寝中なんで、お静かにこちらへどうぞ」。そう案内してくれたのは、保育士でありラグビーの審判のライセンスも持つ立川さん。立川さんは天理生まれの4人兄弟。弟2人がトップリーグの選手という文字通りラグビー一家で育った。「2つ上の兄が“やまのべラグビー教室”というところでラグビーを始めて、僕もそれにひっついていくように、幼稚園の時にラグビーと出会いました」。

4歳から始めたラグビーだったが、高校進学の時に内心では「もうやめたい」と思っていたという。「大きくなるにつれて練習がしんどくなりましたし、タックルしたりぶつかったりというのが実は苦手だったんです。でも、兄も続けていましたし、友達もやると言うので、逃げたと思われるのが嫌で結局高校でもラグビー部に入ったんです(笑)」。

高校1年のオーストラリア遠征で
運命的な出会いを果たす。

「高1の時に人生を変える衝撃的な出会いがありました」。それは遠征先のオーストラリアでの出来事だったという。「地元の強豪チームと先輩たちが試合をしたんですが、選手たちとは比べものにならないくらい小柄な男の子が笛を吹いていたんです。その姿がとてもカッコよくて。日本では、審判は選手になれなかった人のセカンドキャリアというイメージがあったのですが、堂々と笛を吹く彼の姿を見てはっきりと審判を目指すようになりましたね」。海外ではトッププレイヤーを目指すのと同じように、トップレフェリーを目指すのが当たり前。立川さんはオーストラリアでレフェリーの概念を大きく崩されたと語る。

家庭科の授業で決めた
もう一つの夢、保育士。

一方で、高校の家庭科の授業で保育士の仕事の魅力にも出会った立川さん。卒業後は保育士の道も目指すことに。「審判一本で食べていけたらいいなぁ、と少しは考えたんですが、保育士の仕事も同率で1位だったんです。兄が先に幼稚園教諭を目指していたので、その影響もあったと思いますが、ラグビーに続き兄の後をついていくと思われるのは嫌でモヤモヤしていました」。なんとなく保育士を目指しているわけじゃない。でもそう思われていると想像するとシャクだったと当時を振り返る。そんな時にお兄さんから「この仕事はすごくいい仕事だから本気で目指したいなら来い!」の一声がかかる。「それなら行くわ!」。目の前の霧がパッと晴れ、その後、立川さんは保育士の専門学校に進学することになったのだという。「兄は昔から優しいんです」。保育士を目指しながら、専門学生時代には審判のC級ライセンスも取得。ラグビー審判としての最初の一歩も踏み出した。

保育士として働きながら
週末は審判として笛を吹く。

「シーズンが始まるのが9月くらいで、そこからシーズン中の土日は大体どこかで笛を吹いていますね」。平日は保育士として子どもたちを見て、週末は選手を見る。そんな暮らしが毎年秋から冬にかけての立川さんの日常だ。「今年はトップリーグを担当できるA2級の審判からB級に降格してしまい残念でしたが、移動は関西圏に限られたので負担の少ないシーズンでした。A1級・A2級の時は全国がフィールドでしたから、福岡→滋賀とか、東京→名古屋とか当たり前だったんです」。一見すると多忙を極めているようにしか見えない両立だが、審判に行くことは立川さんにとってとても大切な時間なのだという。「審判に行く時は仕事のスイッチも家庭のスイッチも全部OFF。すべてをラグビーに捧げます。でもこのメリハリのおかげで仕事も家庭も審判も全部頑張れているような気がしているんです」。

 

 

 

後編につづく===

 

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