てんりせいかつ

てんりせいかつ Vol/27
家業で自分の花を咲かせる。
━前編━

くらし
2021.07.09

第27回

吉本バラ園 2代目
吉本利彦 氏

「てんりせいかつ」では、天理で自分らしく暮らし、活躍されている方々を訪ね巡りご紹介しています。今回は、天理市櫟本町で「吉本バラ園」を運営されている吉本利彦さんです。2代目である吉本さんは平成18年にバラ園を継ぎ、天理市で16年間バラを生産してきました。先日、バラ園の見学がてら、その経験と地元とのつながりについて伺いました。

棘と花びらを通りながら、
朝からバラを収穫する

 

吉本バラ園は櫟本の田んぼと小さな古墳に囲まれた、のどかな土地に所在している。6月下旬の朝、吉本利彦さんはキャップを逆にかぶり、ハサミ袋を腰に巻いた姿で私を迎えて、バラを育てるハウスの中へ案内してくれた。

百メートルほどのハウスの中に、赤、白、ピンク色、黄色、オレンジ色などの幅広い色彩のバラが腰ほど高いプランターに長く並べられていた。利彦さんはプランターの間の通路に入り、バラの葉っぱと棘を通りながら、バラの花をてきぱきと収穫した。バラの株元に近いところをハサミで切ってから、そのバラの茎を片手で持ち、次のバラへ続いた。彼はだんだんその長い通路の向こうへ進みながら、バラを次々と切った。こちらに戻ってきた時、12輪以上を片手で持っていた。

バラ園を継ぎ、
自分の花を咲かせる

 

利彦さんは吉本バラ園を継いで、16年目だ。「ここに生まれて育って。。。そもそも、自分がものすごくバラの仕事をしたいというよりは、なんとなく『継がなきゃ、仕方ないやろう』というような気持ちでスタートした」と彼は継いだ時の気持ちを話してくれた。「就農して、『これをしなさい。これを収穫してください』のような決められたことをただ従業員として働いているというような感覚やったんで、ほんまに農業をやるうえで面白みもないなというような感じやった」。毎日、同じ仕事を繰り返すのがつらかったが、そのうち、彼はバラを育てる楽しみも見つけてきた。

奈良県平群町でバラを生産している人と話をする機会があり、利彦さんはバラ生産を別の観点から考えるようになった。「とても刺激的な人で、『やっていくなかで、こういう面白いことがあるよ』と教えてくれて、親父に『こうやりたいねん』と言ったら、幸い受け入れてくれて、『やろうよ』と言ってくれた」と彼は振り返った。就農して、4年目にバラの株を地面の土からプランターに移し、そのあと、肥料を自動的に与えるシステムも導入した。緻密な管理を必要とする品種も育ててみて、冷房や暖房や除湿器などで、バラの育つ環境を管理するようになった。技術を取り入れて、品種を増やす試行錯誤の過程から、彼はバラ生産の魅力を見出すことができた。そのおかげで、現在、吉本バラ園は16種類のバラを育てるようになった。なかなか一人で対応できない面積と量で、お父さんも、午前中のパートさん二人も、時々お母さんもバラ園の作業を手伝っている。

父の始めたバラ園、
「商売」より「恩返し」

利彦さんは朝から収穫したバラをハウスから家の奥の作業場まで運び、選別の作業を始めた。一輪一輪を丁寧に扱いながら、彼はバラの見た目や長さで分けた。そのうち、もともとバラ園を立ち上げたお父さん、吉本利郎(としお)さんは大きく束ねたバラを両腕で運んできて、テーブルの上に置いた。お父さんは温かい笑顔で話してくれた。「もとはうちの親父、この子(利彦さんを指して)のおじいさんがちょっとしかけて、取組んでいた。それは昭和40年ごろ。そのあと、本格的に私が継いで、しかけたのが始まりだった」と。そう聞くと、利彦さんがバラを育てている3代目に当たる。

バラ園を始めた昭和47年に吉本バラ園が天理市の16番目のバラ園だった。バラがブームになった時代、市内に30軒ほどの生産者がいたが、だんだん少なくなってきた。吉本バラ園が天理市の唯一のバラ生産者になったが、利彦さんは一人で活動しているというわけではない。16年間バラ園を運営しながら、櫟本に根付いた利彦さんは地元とのつながりを大切にしてきた。「これを言うのはおかしいけど、『商売』というよりは、『恩返し』や、『天理の町がいいようになれば』という気持ちの方が強い」と利彦さんは話してくれた。後編では、地元のコミュニティーとのつながりと、これから天理で何をしたいかを紹介させていただく。

後編につづく==

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